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IT関係の個人事業主の徒然なる日記

大まかにIT系と呼ばれる仕事を自営業として営んでいる者の日記です

エイブラハム・リンカーン

米国の歴代大統領リンカーンを題材にした映画「リンカーン」を見た。

映画の内容が概ね真実ならば、彼は人生の最後まで奴隷解放のために尽くした人である事に違いはないようだ。

あまりに印象的で記憶に残っている言葉が頭から離れない。

引用という形で紹介させてもらうことにしよう。

時代は南北戦争末期。時は南軍が降伏するかという場面で、北部のリンカーン大統領と国務長官、机を挟んで南部の代表として副大統領アレクサンダー・スティーヴンズ、以下で話す場面になる。

リンカーン大統領が戦争の継続は愚かで降伏するべきだと解くシーンで

リンカーン

我々が法律というものに従うのであれば、いいかアレックス、自由を失う事だってある。
それは例えば人を抑圧する自由をだ。
過去には気付かなかった様々な自由が見つかるかも知れない。
君たちが民主的プロセスを守ってさえいれば。
時にもどかしくはあっても・・・

If we submit ourselves to law, Alex, even submit to losing freedoms...
... the freedom to oppress, for instance.
We may discover other freedoms previously unknown to us.
Had you kept faith with the democratic process, as frustrating as that can be...

それに反発した南部連合の副大統領がこう切り返す

やめてくれ。政治理念がどうだとか、少なくともそんな説教などされたくない。
我々に選挙で勝ったというのか?どうやって連邦をまとめてきた?
民主主義でか?
政権を取ってから一体どれだけの人間が死んだ?
連邦を結束させているのは「大砲」と「死」だ。違うか?

Come, sir.

Spore us, at least, these pieties.

Did you defeat us with ballots?

How have you held your Union together?

Through democracy?

How many hundreds of thousands have died during your administration?

Your Union, sir, is bounded in canon fire and death.

それを聞いて最初は心持ちうつむきながらリンカーン大統領はこう返す。

確かに、その通りかも知れん。
それでも我々は、世界に対し民主主義はカオス(chaos=無秩序)ではないと示せたかも知れん。
人々の結束には何か目には見えない偉大で力強いものがあり、民衆は耐えがたい犠牲に絶えながら、それでも団結できると言う事を示せたのでは?
憬れるに値する民主主義の理念を守ったとは言えないか?
いずれ、立派に育つであろう理念を・・・
いずれにせよ、血と犠牲によって証明されるものはすでに十分証明されたのでは?
戦争はもう終りだ。

It maybe you're right.

But say all we done is show the world that democracy isn't chaos.

That there is a great, invisible strength in a people's union.

Say we're shown that a people can endure a awful sacrifice and yet cohere.

Mightn't that save at least the idea of democracy to aspire to?

Eventually to become worth of?

At all rates, whatever maybe proven by blood and sacrifice must have been proved by now.

Shall we stop this bleeding?

作品から伝わって来るリンカーン大統領は独裁的に振る舞いながら、必ずそのよりどころとして国民の支持をないがしろにはしなかった。

奴隷解放の努力に関しても、自分は正しく法にも見合っていると思うと同時に、間違っているかも知れないとも感じていたそうだ。

長い月日を経て、黒人の士官も、黒人の大佐も、黒人の選挙権も現実のものとなり、黒人の大統領も現実のものとなった。

人々の猜疑心を駆り立て民主的なプロセスを否定するのはたやすいかも知れない。

それでもこれから米国に女性やアングロサクソンの大統領が誕生するのであれば、それは21世紀も米国が繁栄を続ける1つの兆しになるように思える。

一直線にそうはいかないかも知れない。

そう、「時にもどかしくはあっても、民主的プロセスを守っていれば」。

そういう国が結局は長い目で見てうまくやって来た。恐らくこれからもそうだろうと信じる。

ドイツ銀行

ドイツ銀行の問題が究極のtoo big too failなのか。

自分には知識が足りないため分からないでいます。

数え切れない訴訟を起こされているとか、米司法省からの和解金がいくらとかいう話しがちまたを賑わせていますが、

訴訟の段階ではドイツ銀行が、ドイツ銀行だけがそんなにあくどい事をしていたのか。

はたまた欲求不満の矛先が、裕福な(少なくとも諸外国にはそう思われている)ドイツの銀行に向けられただけなのか。

正しい知識に基づかない憶測を悪びれずにするならば、「いちゃもんつけるだけならタダ」。

だけど本当に大金むしり取って世界恐慌にでもなろうものなら元も子もないから大きいのは姿勢だけ。

小銭をむしり取って満足して、忘れた頃にまたいちゃもんつけにくるんでなかろうか。

そんな風に見えますが・・・

いや、本当はドイツ銀行は悪の権化で、世界中であくどい商売しまくってて、そのあくどさ故に訴訟が持ちきり、って可能性もあります。

もしそうなら、究極のtoo big too failですね。

モンティホール問題 その3 解説編 後編

モンティホール問題の解説の後編を続けます。

前回、場合の数を数えてそれらを列挙しその中から「プレイヤーが最初に選択したドア」から、「モンティが選ばなかったドア」に変更し、かつ賞品のあるドアを開けるというパターンを数えました。

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これが全ての場合の数でその数は8通り。

その内、プレーヤーがドアを変更するのが4通り。

そしてドアを変更して開いて当たりを引くのが2通りです。

ただ、これにはやはり落とし穴があります。

確率を計算するさいには、全てのあり得るパターンを挙げてかつ、その全てのパターンが「同様に確からしい」場合のみ、その中で該当するパターンの数を数えて全てのあり得るパターンの数で割る事で確率をそのまま計算できます。

ところが、最初のプレーヤーが当たりを引く確率は3/1のわけです。

であれば、最初に当たりをひいた場合の(ベイズ統計でいうところの事後確率)はそれ以降、全て1/3をかけて見積もる必要があるのです。

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この樹形図でプレーヤーが選択を変更した場合を全て左に揃えて書いてあります。

プレーヤーが選択を変えた部分に注目して下さい。

プレーヤーが選択を変えてはずれを引くのは2/12(=1/6)ですが、
プレーヤーが選択を変えて当たりを引くのは4/12(=2/6)

つまり、当選確率は倍になるというわけです。

ちなみに
プレーヤーが選択を変えずにはずれを引く確率は4/12(=2/6)
プレーヤーが選択を変えてはずれを引く確率は2/12(=1/6)

ですから、プレーヤーが選択を変えなければ当選する確率は半分に下がってしまいます。

一応、「常識的な前提」が紛れ込んでいますが、その「常識的前提」が正しいとすればこのような結論になります。

もしその「常識的前提」が間違っていれば答えは上記のようにならず、場合によっては1/2になることもあります。

以上、モンティホール問題の自分なりの説明でした。


この一連の連載は、モンティホール問題を理解する過程をなぞって確かにする目的もありますが、わかりやすく説明するという目標を達成できたかも気になります。

また、この問題は有名ですの既に知っている方もいらっしゃるかも知れません。

似たような問題に日本で有名なものには3囚人問題がありますので、その亜型ともいえます。

私は統計を専門としておりませんし、統計などに精通した方などで既にご存じの方であれば鼻で笑われてしまうかも知れません。

ただ、当時その場に居合わせたらどうか・・・

そのような想像力を働かせて経緯を追っていくことで驚きを得られることもあります。

そして忘れないように、どんなときにも驚きを感じ取る能力を・・・

また、この手の話しが苦手であり、かつここまで読んで下さった方に対しては、好奇心の豊さと忍耐強さという特質を大切に、これからも頑張って下さい。

また、上記の常識的前提について引っかかる方は、後日また時間のあるときにでも以前紹介したシミュレーターを使って確率にどのような変化が出るか、試して見たいと思います。

モンティホール問題 その2 解説編 前編

前回はモンティホール問題でなぜ選択を変えた方が有利になるかについて詳しい説明をしませんでした。

自分が理解する過程をなぞる意味も込めて、説明を試みたいと思います。

まずモンティホール問題についての説明ですが、

「プレーヤーの前に閉まった3つのドアがあって、1つのドアの後ろには景品の新車が、2つのドアの後ろには、はずれを意味するヤギがいる。プレーヤーは新車のドアを当てると新車がもらえる。プレーヤーが1つのドアを選択した後、司会のモンティが残りのドアのうちヤギがいるドアを開けてヤギを見せる。
ここでプレーヤーは、最初に選んだドアを、残っている開けられていないドアに変更してもよいと言われる。プレーヤーはドアを変更すべきだろうか?」

というものでした。
イラストで示すと、このようになります。
f:id:tyusuke88:20161003182542p:plain

この状態でプレイヤーはドアをどれか1つ選び、そのあとで残されたドアのうち司会者のモンティがはずれのドアを必ず開けます。

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その後、司会者のモンティはプレーヤーに「ドアを変更してもよい。そのまま開いてもよい」といいます。

この時点で、プレイヤーがより高い確率で賞品の新車を当てたいと思った場合、選択を変更する方がよいのか、それとも変更しない方がよいのか、それともどちらでも確率は同じなのか、という問題です。

まず、選択肢が2つでその内当たりが1つであるから選択を変更してもしなくてもあたる確率は1/2というのが、大変多くの人の直感的な答えです。
深く考えても1/2に見えるかも知れません。

ここで、確率について思い出してみましょう。
例えば、このような問題を考えます。

サイコロを2回振ったとして出た目の合計が7になる確率は何%か?

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この場合、「場合の数」というものを考えます。

サイコロを2回振る場合、何パターンの結果があるのか?というパターンの数です。

サイコロを振った場合、1~6の目のうちどれかが出ます。7の目が出たり、どの目も出なかったりする事はありません。

サイコロがどこかへ飛んでいってしまって出た目が分からない、というのも除外します。
また、1回目にサイコロを振ったときにサイコロにヒビが入り、2回目に出る目に影響するということもないものとします。

1回目にサイコロを振ったときの場合の数(パターン)は6通りで、2回目にサイコロを振ったときも6通りですので、6*6=36通りのパターンがあるはずです。

その内サイコロの目の和が7になるパターンは・・・・
(1,6)(2,5)(3,4)(4,3)(5,2)(6,1)
の6通りです。

ここで、左側にあるのが最初に出た目、右にあるのが2回目に出た目です。

36通りあるパターンのうち、6パターンが「足して7になる場合の数」です。

そして、どのパターンが起こる事も「同様に確からしい」ため、16.66%(=1/6)と計算できます。


なにやら胡散臭い表現ですが、どのパターンになることも同じような確からしさでありうる、ということです。

つまり、サイコロが実はいかさまサイコロで4の目だけ出やすい、といったことはなく、上で述べたように一回目にサイコロを振るときも2回目に振るときも出る目はそれぞれ1/6であるという事です。

では話しをモンティホール問題に戻しましょう。

ここで司会者であるモンティは正解を知っていたのか?

という事が気になる方もいらっしゃるかも知れません。

ただ、モンティが答えを知っているかどうか、結論を言うと問題になりません。

モンティが当たりを知っている場合はモンティが当たりのドアを避けてはずれを選びますが、モンティが答えを知っていなくて当たりのドアを開けてしまうわけには行かないため、モンティが答えを知らない場合は、

「もしモンティが当たりのドアを選んでしまったら、裏で番組スタッフが分からないようにはずれのヤギと交換する」

という手順を踏みますが、どちらの場合でも、モンティが当たりを除外するか、スタッフが当たりを除外するか、番組側の選択であって本質に違いはありません。

全部で何パターンあるでしょうか?

まず、プレーヤーが最初の選択で3つのドアのうちどれを引くか、3つありますのでこの時点で3パターンです。

さらにそれぞれの場合にその先の場合の数を数えてみましょう。

ケースAで最初に当たりのドアを選び、モンティが2つのはずれのドア(はずれ1・はずれ2)うちどちらかを無作為に決める場合

ケースBで最初にはずれ1のドアを選び、モンティが当たりを避けてはずれ2のドアを開ける場合

ケースCで最初にはずれ2のドアを選び、モンティが当たりを避けてはずれ1のドアを開ける場合


次にケースAではプレーヤーが選ばなかった、2つある「はずれ1」と「はずれ2」のうちモンティがどちらを開けるかで更に、A-1とA-2に分かれます。

従って、以下のようなパターンがあります。

  • ケースA-1

プレーヤーが最初の選択で当たりのドアを選び、
残ったはずれのドアのうち「はずれ1」を開けるパターン

  • ケースA-2

プレーヤーが最初の選択で当たりのドアを選び、
残ったはずれのドアのうち「はずれ2」を開けるパターン


これは、モンティがドアを開けた時点のパターンで、この後にプレーヤーがドアを再度選択するので、
それぞれのパターンが更に「最初のドアをそのまま選ぶ」ケースと「モンティが開けなかったドアに変える」パターンに分かれます。


これで最終的にプレーヤーがドアの選択をするときとしないときを含めて、パターンとしては全て揃いました。

合計で8通り、その内プレーヤーがドアを変更したのは4通り、変更しなかったのも4通りです。

樹形図でこの場合分けを示すと以下のようになります。

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プレーヤーが最初選んだドアからモンティが開けなかったドアに変更した、「変える」の選択肢に注目して下さい。

プレーヤーが変更する場合の数は4パターン、その内当たりを引くのは2パターン。

あれ!?やっぱり1/2!

2沢で、どっちかが当たりでどっちかがはずれなら1/2に決まってます。


いや・・ちょっと待って下さい。

※イラストにはフリー素材の「いらすとや」さんと
イラストポップ」さんの素材を利用させていただきました。
かわいらしい素材が豊富にそろっており、大変助かりました。

モンティホール問題 その1 概要編

かなり昔のことになりますが、モンティホールジレンマという言葉を聞いたことがありました。
なんだかその時はその時でちらっと見ただけで理解したような気になってしまっていて、そのままかなりの年月が過ぎました。
確か6~7年以上前の事だったでしょうか。

先日スクーウェブキャンパスというオンライン講座のサイトでベイズ統計の授業を見ていたときに、ふと思い出したのがこのモンティホールジレンマ。
オンライン授業といっても録画済みのものだったので、そのまま再生をストップしてWikipediaモンティホール問題を読んだのですが、これはこれは・・・・考え込んでしまいました。

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「プレーヤーの前に閉まった3つのドアがあって、1つのドアの後ろには景品の新車が、2つのドアの後ろには、はずれを意味するヤギがいる。プレーヤーは新車のドアを当てると新車がもらえる。プレーヤーが1つのドアを選択した後、司会のモンティが残りのドアのうちヤギがいるドアを開けてヤギを見せる。
ここでプレーヤーは、最初に選んだドアを、残っている開けられていないドアに変更してもよいと言われる。プレーヤーはドアを変更すべきだろうか?」

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この問題に、「マリリン・ボス・サヴァント」という女性が回答し、その回答が大論争を巻き起こした、というものです。

1990年9月9日発行、ニュース雑誌 Parade にて、マリリン・ボス・サヴァントが連載するコラム欄「マリリンにおまかせ」において上記の読者投稿による質問に「正解は『ドアを変更する』である。なぜなら、ドアを変更した場合には景品を当てる確率が2倍になるからだ」と回答した。すると直後から、読者からの「彼女の解答は間違っている」との約1万通の投書が殺到し、本問題は大議論に発展した。

さらに興味深いのが、この問題のややこしさを象徴することもありますが、寄せられた投書1万通のうち、およそ1000人が数学の博士号保持者だったというところ。

再度、彼女の答えを整理すると、

プレーヤーが最初に選んだドアをそのまま開ければ当たりである新車を獲得する確率は1/3。
だが司会者の残したドアに変更した場合、当たりの新車を獲得する確率は2倍に跳ね上がる。

というものです。

普通に考えれば、司会者はヤギのいるはずれのドアを開けて「選択肢を1つつぶしている」訳なので、この時点で当たりになるドアは2つのうちどちらかになるはず。

であれば、プレーヤーはここで再度、「最初に選んだドアをそのまま開ける」か、「もう一つのドアを開けるか」の選択を与えられても、賞品を当てる確率は、
2つある選択肢のうち、1つがはずれ、もう1つが当たりですので。。。。
どう考えても1/2になりそうに思えますよね。

でもまぁ、違うわけです。

ここで、この問題について初見で、かつ「え?そのままだと3/1で変えたら1/2でしょ?」と思った方がいたら教えて下さい(笑)

正直打ち明けて、このWikipediaのサイトを読んで4時間以上パソコンの前で固まってしまいました(笑)

まあ、最終的には説明を読んで納得しましたが、こんな危険な問題が存在するなんて・・・

なぜ彼女が指摘したような結果になるか、説明をするには1日分のブログはあまりに短いのでこのお話は後々また順を追って説明していきます。

個人的に面白いと感じたのは、論争の経緯。


彼女の説明に対して、

ジョージ・メイソン大学 ロバート・サッチス博士「プロの数学者として、一般大衆の数学的知識の低さを憂慮する。自らの間違いを認める事で現状が改善されます」

ず、随分と上からいいますねw。まずは自らの過ちを認めることから始めましょうって事ですね。まあ誤っていたのは彼の方でしたが・・・

また、

フロリダ大学 スコット・スミス博士「君は明らかなヘマをした(中略)世界最高の知能指数保有者自らが数学的無知をこれ以上世間に広める愚行を直ちに止め、恥を知るように!」

彼の話しによると、マリリンは恥を知らなくてはならないようです。

しかしながら、

アンドリュー・ヴァージョニがモンティーホールジレンマをモンテカルロ法を使って自前のパーソナルコンピュータで数百回のシミュレーションを行うと、結果はサヴァントの答えと一致。ポール・エルデシュは「あり得ない」と主張していたがヴァージョニがコンピューターで弾き出した答えを見せられサヴァントが正しかったと認める。

そして・・・

エルデシュはこの問題の解答を最初に間違いだと断定、立腹して外出する。一時間程経過してから帰って来るはずの時間ではないエルデシュがカンカンに怒って帰ってきてこの問題(と解)をエルデシュに教えた弟子を「君はなぜ選択を変更するのか言ってくれなかった!どうして言わなかったのか!」といらだった様子で問い詰める。これには弟子も説明が出来ず師に謝罪。エルデシュは益々不機嫌になったという。

一応高名な数学者の名誉を守るために付け加えるなら、彼が「勘違い」をしたのには訳がありました。それはこの問題の前提が100%説明され尽くしていなかったということ。
この件はまた次の機会に譲ります。

ちなみに、この「アンドリュー・ヴァージョニ」がどんな人なのか分からないのですが、モンテカルロ法というは目の付け所としては悪くない訳で、そして、恐らく目の付け所として悪くなかったからこそ、ポール・エルデシュもシミュレーションの計算結果とプログラムコードを見て(見たはずです。そうでなければ適当な結果を表示しているかもしれませんし、なんの意味ある説明にもなりません)サヴァントが正しかったと認めたのでしょう。

そこでアンドリュー・ヴァージョニさんが書いたコードがどのようなものか知りたかったのですが、知る手立てがなく、この機会にこの問題をモンテカルロ法を使ったシミュレーションでそれぞれ
「プレーヤーが選択を変更しなかった場合」と「変更した場合」に分けて、10万回のシミュレーションを行い、それぞれの当選率を調べて見ました。
10万回という回数に特に意味はありませんが、回数が多ければ多いほど対数の法則に基づき正確な確率に収束していくだろうこと、
そして1990年代のパーソナルコンピューターでは計算速度の問題から数百回で納めていたかも知れませんが、せっかく計算速度のが進歩したのですから回数を増やして見てもいいかな、と思ったためです。
このシミュレーションは、私の古いパソコンでも1分とかからず終了しました。

ご覧になったり、ご自身のPC上でシミュレーションをしてみたい方は、Eclipseがあれば実行できますので、以下を参照して下さい。

github.com


結果は、

選択を変えてドアを選びプレイヤーが景品の入ったドアを開けた回数=66470回
選択を変えずにドアを選びプレイヤーが景品の入ったドアを開けた回数=33174回
選択を変えてドアを選びプレイヤーが景品の入ったドアを開けた率=66.47%
選択を変えずにドアを選びプレイヤーが景品の入ったドアを開けた率=33.174%

おお、モンテカルロ法を使ったシミュレーションでも確かにプレーヤーが最初に選んだドアをそのまま開けた場合は1/3(≒33.174%)、変更した場合は1/3(≒66.47%)で理論通りになりました。

このお題については、詳しい話しをまた後日にでも・・・